復興という言葉の意味を考えさせられた町、岩手県大槌

2011年12月21日に助けあいジャパンの情報レンジャーで岩手県大槌にある仮設商店街と復興食堂に行ってきました。
その時の感想レポートです。


この写真は店の入口や店内です。

復興食堂のことは以前の情報レンジャーのレポートで知っていました。その時は正直「何にでも復興と名をつけるんだな」と多少軽く見ていた所がありました。

しかし、実際に食堂に訪れてみて周辺を歩いてみて「復興食堂」と名を掲げたことの重さを痛感させられました。

下の写真はその店の前の写真です。何に見えますか?

これ、元駅だった場所です。つまり、この周辺は一等地だったわけです。その証拠にすぐ近くに町役場があったそうです。

下の写真は店の周辺の光景。あたり一面一切破壊されている様子が見て取れます。

正直悲惨な写真を見せて関心を惹くやり方は好きではないのですが、そういうことがどうでも良くなるくらい伝えたくなるものがあったので、あえてそうしました。

この情報レンジャーに参加した2日間は被災地を回り、被災した人やサポートしている人の話を聞いて回りました。今回はじめて回ってみたわけですが、いろいろ考えさせられました。とは言うものの、想像を超えた被害というものに出会うことはありませんでした。すべて想像の範囲内です。ひどい発言かもしれませんが、正直な感想です。

TVの映像、写真、その他で嫌というほど、際立った悲惨な状況を見ていますから、きっと麻痺しているのでしょう。ある意味悲惨慣れしているのかもしれません。だからなのでしょう、想像を超えたと思えるものは何もありませんでした。しかし、想像できなかったことはありました。

それは「そこには普通の日常があった」という事。

復興食堂の前が駅であったことを教えてもらい、復興食堂のテントを出て周りを見渡さない限り、僕はきっと想像することはなかったでしょう。

駅前で何を食べようか? と相談している人達、電車を降りて車での迎えを待つ人、そんなどの街にでもある普通の光景。当たり前で退屈な日常。

復興したいもの、とはもしかしたらそんな退屈だった日常なのかもしれません。そんな切ない思いに、ここに来て自分の足で歩いてみるまでは考えてすらいませんでした。そんな程度の考えで「復興と名前付することを軽い」と思っていたわけです。本気の思いに対して失礼すぎる感覚でした。

写真や文章をどれほど見、読んだとしても伝わらないものがあり、たとえ伝わったとしても意味が無いものがある。

現地を車の中で見てもわからない事があり、車を降り自分の足で歩くことでようやく感じることができるものがある。

そんなものが確実にあるのだ、ということがよくわかった2日間でした。

一度は被災地に足を踏み入れてみるべきだ、いままで何度も聞いたセリフです。しかし、このかつては軽く聞こえていたセリフが今重く響きます。この2日間で様々な事を思い、様々な事を感じました。しかし一番重要だと思えることは、足で感じた言葉に出来ないこの感覚です。

この文章にたどり着くような人なら大なり小なり、心のなかにいいようのない引っかかりを持っているはずです。現地にきた所でそのひっかかりが取れることはないでしょうが、もしかしたら価値あるひっかかりに変わるかもしれません。

この2日間、復興という言葉について深く考えさせられました。いままでそれなりに考えてきたつもりでしたが、考え続けることではたどり着けない感覚があることがわかった2日間でした。

ですから、もし少しでも興味を持たれたら、情報レンジャーに参加してみてください。情報レンジャー活動は敷居が高いようにみえますが、石川隊長は優しいし案外ゆるいので安心してください。もしくは、遠野まごごろネットが主催するボラバスツアーが3000円で運営されているので、それに参加するのもよいかもしれません。

どんな方法でも良いのです。とにかく現地に行き自分の足で感じ取ってみてください。僕とは違うものを感じるかもしれません。しかしそれはきっと自分にとって誰にも伝えることができない価値ある何かであるはずです。ぜひ検討してみてください。