この企画に想うこと - 1

古事記の冒頭部のイザナギイザナミの出会いの話を知ってますか?

【 古文調 】
イザナギ
「汝(いまし)が身(み)はいかに成れる」
イザナミ
「わが身はなりなりて成り合はざる処一処あり」
イザナギ
「わが身はなりなりて成り余れる処一処あり。故(かれ)このわが身の成り余れる処を以て、汝が身の成り合はざる処を刺し塞ぎて、国土(くに)を生み成さんと以為(おも)ふ。生むこといかん。」


【 現代訳 】
イザナギ
「あなたの体はどのようにできていますか」
イザナミ
「私の体には、成長して、成長していないところ(女陰のことを示す)が1ヶ所あります」
イザナギ
「私の体には、成長して、成長し過ぎたところ(男根のことを示す)が1ヶ所あります。そこで、この私の成長し過ぎたところで、あなたの成長していないところを刺して塞いで、国土を生みたいと思います。生むのはどうですか。」

参考 : Wikipedia-国産み

まあ、要約すると男の神と女の神がオッスオッスしたら、日本が生まれました。という割と身も蓋もない始まりなんだけど、考えれば考えるほど面白い始まり方だと思うんです。

Wikipedia の 国産み の現代訳はちょっとこなれていませんが、大抵の場合は「私の体は美しく出来上がっていますが、足りない(余った)部分がある」と訳す場合が多いみたいです。参考 : 国産み

この話からエロ要素を抜くと

「人と人が出会い、相手の特徴をよく観察した後、余った部分と足りない部分をあわせて国造りに励みました」

と解釈できませんか ?

そう解釈すると、この物語の始まりは普遍的な真理、あるいは理想が含まれている気がするのです。その事に気がついたとき、改めて面白い始まり方だな、と思ったのです。

神が七日間かけて世界を作った、という始まりも面白いですが、なんかこっちの始まり方のほうが落ち着くんです。男女の出会いで始まるところとか、ほんのり香るエロスとか、うまくいえないけど唐突感がなくて自然な感じの始まりが愛おしいんですよね。

また表現がいいじゃないですか。「なりなりて成り余れる処」なんて表現。現代訳に直訳したら「ち◯こ」。 なにこの落差w みたいな感じ。精一杯きれいな表現を試みている感じがとても素敵です。
だから、妙に心に残っているんです。

古事記なんてつくり話」という意見もあるでしょう。そうかも知れません。しかし、仮につくり話であったとして、そのつくり話を作った人は確実にいるわけで、そこにはその人の思いや願いが込められていると思うのです。

  「我が日本の始まりはこのようにあって欲しい」

という思いが。

伝承なのか創作なのかどうかなんて誰にもわかりません。でも「日本のはじまり」ということを創作するにあたり、古事記編纂時(712年)の人たちはそう考えたとしたら、その物語にはその当時の人々の思い、願い、理想が込められているはず。

  その願い、とはなんだろう。

時々そんなことを考えます。それに対する答えは今はまだ見つかっていないのですが、ぼんやりと

人はそれぞれ優れた部分と足らない部分を持っている。国造りという難事に取り組むに当たって大切な事は、それぞれの長所を持ち寄ってうまく短所を補いつつ、お互いの力を合わせることだ。

みたいなものなのかな、と考えています。

言っていることは多少違いますが、十七条憲法も、第一条と第一七条で「よく話しあって和を保て」のようなことを言っています。これにも似たような思いを感じます。

井沢元彦氏は、この十七条憲法について

大切な事は、たいてい最初と最後に書かれている。つまり十七条憲法において大切な事は第一条と第一七条でその主張を要約すると

  「よく話しあって和を保て」

となる。このことは二条で触れる仏教のこと、三条で触れる天皇陛下のことよりもずっと重要なことなのだ。

【 参考 】

と述べています。このことを評して「日本は話し合い至上主義の国」と言っています。

アジャイル関連の開発プロセスの布教において日本で一番強調されることが「コミニュケーション」であることは、おそらくこのことと無関係ではないと思います。
そう考えると「話し合い至上主義」であること自体は、十七条憲法の時代から現在までおそらく変わっていないと思うんです。

  では、国造りの理想は変わっていないのだろうか ?

うーん、どうなんでしょう。そもそも、「国産みの物語に込められた願いなんてあなたの空想上のものでしかない」と言われたら、そのとおり、としか返しようがありません。

  でも、ほんとにそうなのか?

とも思うんです。伝承であっても、古事記を編纂するに当たって、適切でない、あるいは理想的でない、と判断されればそれはなきものにされたか、あるいはねじ曲げられて伝えられたはず。しかし、そうならなかった。
それはきっとその当時も「面白い始まりだな」等、肯定的な評価をする人が大勢を占めていたからだと思うのです。
時代を超えて残る物の影には、「次の時代にも残っていて欲しい」と願う人達が沢山いる、そんなことを最近よく思います。

国産みの物語が現在にまで残っているのは、きっと「ずっと語り継いで欲しい」と願った人が、どの時代でもたくさんいたからではないでしょうか? そう考えるのは、すこし飛躍しすぎですか?

「国造りの理想」は明文化されこそしていませんが、多分昔も今も変わらない形で、生き続けていると思います。
そう思うのは「話し合い至上主義」が十七条憲法の時代から現在まで変わらない形で、この国を形付けていると思うからです。
よく話し合う理由は、たぶん相手をよく理解したいから、だと思うのです。よく理解したいのは、よく理解しなければ、誰かの余ったカケラと、誰かの足りないカケラをうまく組み合わすことが出来ないから。

そんな風に考えれば「話し合い至上主義」が、現在まで日本の真ん中を貫いている理由が理解できそうな気がします。

東日本大震災後の日本人は、明らかに言い知れぬ不安感を抱えながら生きていると思います。僕もその一人。自分の未来だったり、日本の未来の事であったり、現在の政治のこと、あるいは原発のことだったり。

一言で言ってしまえば、迷っている。たぶん、日本人全体が。そして、それぞれの方法で答えを見つけようとしている。そんな空気が日本全体を覆っている気がします。

この迷走をどう解決したらよいか ?

たとえば、どんな人間でも、何かを進めていくうちになにかしらのブレや迷走を抱えてしまいます。そんな人間に相談を受けた場合、大抵のひとは「原点を思い出せ」とか「初心にかえれ」とか、そんなことをアドバイスすると思います。
そんな風にアドバイスするのは多分「原点に帰ること」が迷走を抜け出す一番確実な方法であることを知恵として、あるいは経験則として知っているからだと思うんです。ただ、この解決方法は、いわば個人に対しての解決方法です。

  では、国という大きな単位での解決方法として適用するのは難しいでしょうか?

国も所詮人の集合体に過ぎない以上「原点を思い出せ」のアドバイスは有効だと思います。

では、

  日本の原点とはどこなのか?

これが、この記事の冒頭に国産みの物語を持ち込んだ理由です。

国産みの物語は、とかく大きく複雑に考えがちな「国造り」という大きなテーマを考える上で、シンプルな答えを与えてくると思うのです。つまり

  国造りなんて簡単。余ったものと足りないものを合わせればいい。
  そうすれば勝手に生まれる。

というシンプルな答え。国産みの物語は、そんなことを示唆してくれているような気がしてならないんです。

「日本」という物語は、余ったものと足りないものを合わせる事から始まった。
そしてきっと、誰かの余ったカケラと、誰かの足りないカケラを合わせ続けることで、この物語は進んだ。

そしていま、私たちはこの物語をどう進めてよいか迷っている。

しかし原点に立ち返れば、答えはシンプル。この物語の進め方は一つしかない。

  相手を理解するために良く話し合い、誰かの余ったカケラと
  誰かの足りないカケラ合わせ続ける。

とてもシンプルな答え。

こんな風に考えれば、やるべき事も割と単純化します。

僕が知っている世界はIT業界がメインですから、その業界内で「余ったカケラと足りないカケラ」を組み合わせるにはどうしたら良いか ? の思考実験が「災害復興についてプログラマとして考えたこと-1 から 5」で述べた一連の企画な訳です。

長くなったので明日に続きます。