この企画に想うこと - 4

それに対して「between」は一人では成立しません。人と神との「between」の事だ、という解釈も可能でしょうが、普通に考えて日本でその解釈は成立しないでしょうね。前述の画像のように日本人にとって神様は結局傍観者です。

  人と人との間にある何かが日本人に「人間らしさ」をもたらしてくれる根源になっている。
  そう考えた場合、そこにある「何か」とはなんでしょうか ?

なんでしょうね。これは人それぞれに答えがありそうです。
誰かを思いやる心、でしょうか? 誰かを愛する心?

いずれにせよ、誰かを思いやったり、愛されたりすることによって心の中に沸き上がってくる温かい何か、を大切に思う、という感覚は暗黙的に日本人が共有している価値観といって問題ない気がします。もっとも、そういう人の間にある何かが優しい気持ちを取り戻させてくれた、みたいな経験は世界共通のような気もしますから、日本人だけでなく全世界的な物かもしれませんけど。

  では、人と人との間を結ぶ線は一本でしょうか? それとも複数?

僕は複数だと思っています。それもポジティブな線ばかりでなくネガティブな線も含む形。たとえば、優れた才能を持っている人に対して尊敬の感情を持ったとします。でも、同じ人間に対して「この人のこういう所が嫌い」など嫌悪の感情も同時にもてたりします。同じ人間に対していろいろな感情を持っている場合が多いはずですから、たくさんの細い線が好悪を織り交ぜながら繋がっているイメージですね。

  では、その線の両端にあるものは一体なんでしょうか?
  心、でしょうか? それとも体?

僕はその両端には「余ったカケラと足りないカケラ」があるんじゃないかな、と思っているんです。

たとえば、誰かを尊敬する感情は自分の足りない(劣った)カケラから誰かの余った(優れた)カケラへとつながる線と言い変えることができるでしょう。逆に嫌悪の感情は自分の優越したカケラから誰かの劣ったカケラへとつながる線と言い変えることができると思います。足りないカケラと足りないカケラをつなぐ同情なんていうつながりもあるかもしません。本来なら軽蔑してしまう誰かの足りないカケラを愛してしまう、なんていうつながりもあるかもしれません。

そう考えると、もしかしたら一人ひとり違う形をしているのかもしれませんね。

その考えを一歩進めると、誰かのカケラへとつながるつながり方の集まりが「その人らしさ」の形なのかもしれない、なんて思えたりしてきます。

そして、日本中の「その人らしさ」を集めると「日本らしさ」になる。

東日本大震災では「日本らしさ」の悪い面ばかりが目について、一回壊れてしまえばいい、と思った人もたくさんいたと思います。僕もそう思うこともあります。

ただ、あの悪い面はたぶん「between」に価値を見出す世界の「影」なのだと思うのです。そう考えると「影」を壊すことは、この価値観を壊すことにつながる事になる。それで本当にいいのか? この価値観がもたらしてくれるやさしいものを失ったりはしないだろうか?

いろいろ考えては見たものの、結局僕はきっとこれからもこの価値観を嫌いになることは出来ないだろうことに気がつきました。

ならば、この価値観がもたらす良い面をうまく伸ばすことで、日本を良くする方法を模索するしかないんじゃないかと。良い面を伸ばすことで、悪い面の影響を相対的に小さくする感じですね。答えはまだ見つかっていないのですけど。でも、おぼろげながらならあるんです。

「日本」を物語としてとらえると、始まりは国産みからです。では、その物語を成す一文字一文字に当たるものは一体なんなのか?

僕はその物語を成す一文字に当たるものは、やはり「余ったカケラと足りないカケラをつなぐつながり」だと思うんです。

そう考えれば、そのつながりが楽しく面白いものであれば、物語も楽しく面白いものに変わり、そのつながりが憎しみや嫌悪にまみれたものなら、物語もまた憎しみに溢れ暗いものに変わっていくと考えることができるんじゃないかと思うんです。

「日本という物語」の続きを想像してみてください。

  なにか、日本の未来を考えると暗い気持になりませんか?
  ほんと、どうなるんだ。日本ボロボロじゃんか、と思ったりしませんか?

考えれば考えるほど暗くなる、それが今の私たち日本人にとっての「日本の未来」に対する率直な感覚ではないでしょうか ?

暗〜い、暗〜い物語が続きそうな、そんな嫌な空気が蔓延してますよね。

でも、こと「日本という物語」の続きに関しては、私たちは読み手であると同時に書き手でもあったりするわけです。偉い人や権力者ばっかりが書いているわけではないはず。

  はい、そこ。「使っているフォントサイズが違いすぎ !! 」

とか言わないw まあ、そういう所はありますよね。あいつら無意味に h1 タグとか使い過ぎw 一昔前のSEO対策か! ってなもんです。

それに比べてうちらの文字のあつかいはひどい。エロサイトのような隠し文字的扱いとか、meta タグの中とかに、ビッシリ書いている感じ? しまいにはコメントタグで囲まれちゃう感じ? そんな「データ的にはあるんだろうけど表示されません」的なひどい扱われ方されがちだけど、それでもやっぱりちょっとは変わるわけじゃないですか。

そんな、ほんのちょっとかもしれない面白い一文字を生み出し続ければ、そのうちまとまったちょっとした面白い小話に変わっていんじゃないかと思うんです。

そんなちょっとした小話の集まりがきっと「日本という物語」の姿だと思うんです。

そう考えればでか過ぎて変えられそうになさそうな「日本という物語」の続きも、変えられるかもしれない、って思えてきませんか?

楽しい小話が日本中で生まれれば、そのでかい物語の結末まで変えられそうと思えてきませんか?

まあ、難しいことがいっぱいありそうですけど、なにか少し位は変えられそうな気がしてきます。で、まず初めに自分がよく知っているIT業界で、そういう楽しい小話を作るにはどうしたらよいか? の試行錯誤の結果が一連の企画案になった訳ですね。まだ荒削りすぎで穴だらけですけど。エンジニアが楽しいと感じることは、最新テクノロジーだったり、美しいコードだったり、スキルアップだったり、そういうことを詰め合わせたら長文になった感じですw 
そうやって、いろいろ「どうすれば面白くなるか」とか「こうすれば楽しくなりそうだ」とか、楽しくする方法や興味深くする方法を考え続けた結果 「う◯こネタ」 にたどり着いた訳ですねw


  この人最終的にとんでもない所にたどり着いたよ !!


… ほんとすいません。

ふざけないつもりでいたのですが、最後の最後でボロが出てしまいましたw いつものことでございますw 体はオッサン頭は小学生の逆コナン君状態ですので、コナンさんとでも呼んでください。ほんとすいません。

ということで、長々と、とりとめもない話をしてしまいました。

どうせ頭を使わなければならないなら面白くて、興味深いことに頭を使いたいものです。

ここまで、長々と僕の独り言に付き合っていただきありがとうございました。

ここまで読んでくれたということは

「企画やアイデアを面白いと思ってくれた人」か
「パンイチ姿を笑いにきた我らが宿敵リア充」か
「う◯こネタの続きはまだか〜、まだなのか〜、とさまよい続けてたどり着いた生ける屍」か

いずれかでしょうw どんな方であれ、貴重なお客様ですw

なにか思うところがあれば、各記事に対してコメントなりトラックバックなりを頂けるとありがたいです。

4月はBLOG書き倒して、やっぱり無駄に過ごしてしまったのですが、納得の無駄だったので満足しています。とりあえず仕事っぽい事を再開して未来に向けて頑張ろうかと思いますw なのでBLOGはしばらく更新しない予定です。

では、また後日。