Hack for japan で学んだ事(2)

数奇な巡り合わせ、この巡り合わせも、結局は及川さんやスタッフが勢いで走りだしたことで風が起こったから。すべての始まりはそこ。衝動のまま何も考えず、とりあえず走ってみる。

  いい歳の大人のやることではない (褒め言葉)

しかし、そこには気持ちの良い割り切りがある。「どう思われようが、成果が何も上がらなかろうが、自己満足と言われようが、とにかく走る」走って、振り返って、反省し、挑戦を設定し、また走る。そんな事を繰り返していくうちに中身が詰まってくるはず。そんな割り切り。そんな確信。

なんて表現すれば良いのだろうか。とにかくアジャイルオープンソース的なのだ、行動が。年を取れば取るほど、体裁を整えることに時間を裂き、手を動かすこと、走ることをやめてしまうもの。SI業界にいたから余計にそう思う。

中身が空っぽなのに美しいプレゼン資料を作るスキルが高いほど重宝され、手を動かす人は冷遇される。誰もプログラムの良し悪しが評価が出来なくなっているから。そんな空気があまり好きになれずに、かといってプログラム専門になれるだけの腕もなかったので、企画と実装の間をうろうろするという中途半端な立ち位置に落ち着くことになりました。だから思う。

  とにかく走る。計画は空っぽだ。でも走る。

この割り切りはすごい、と。しかし、無計画とはいえ空っぽの器にはみっしりとやる気と情熱に溢れている。器からこぼれ落ちるくらいに。Scrum、XP、プロジェクトファシリテーション… 方法論は違えど一つの大きなテーマに取り組んでいる。すなわち

  「プロジェクト参加者のモチベーションを高く保ち続けるにはどうしたら良いか?」

たぶんこんな事が共通テーマとしてあると思う。しかし、なぜこれが共通テーマなのか? それはたぶんここさえ抑えられさえすれば、そのあとをどんな形で進めようがプロジェクトは成功したも同然、というある種の共通の結論がここにあるからなんだと思う。

hack4jpは、ここがある意味達成されているということ。すごい事だ。そして、僕に最も足りないものでもある。

  「やる気」「行動」

自分に足りないものをまざまざと見せつけられると、ちょっと考えこんでしまう。これこそが重要で他は瑣末な事なのかもしれない、そんなことを感じさせてくれた。情熱、焦燥、衝動、試行、失敗、反省、思考、仮説、挑戦、苦悩 … そんな人間らしさがあふれている。なにができるかわからない、でも自分もなにかやってみよう、そんな気にさせてくれた。

話はとつぜんかわりますが、このプロジェクトに参加してもう一つ驚いたことがある。

  スタッフ会議をUstしているのだ。

不思議だと思った。その必然性がよくわからなかったから。大抵の場合スタッフ会議なんて見せたくないものだろうから。おそらく「参加できないスタッフもいるから」という理由なんだろうけど、それだけではないと思った。

  「プロジェクト運営についての学習過程のオープンソース化」

そんな事に挑戦しているように見えた。クローズドにしたいならVideoチャットとかでもいいわけだし。だから、なんとなく「オープンにすること自体に意義を感じている」ように見えた。ここらへんもWeb企業の文化やオープンソースムーブメントの影響を感じさせる。

失敗を公開することの恥ずかしさより、それを公開したことで得られるフィードバックを重視。最初から完璧なものなど作れないのだから、ある程度形になったら公開しフィードバックを得ながらブラッシュアップを重ねて完成度を高める。

そんな思想が行動から読み取れる。国内でトップレベルのエンジニアが失敗を晒すことを恐れずに走っている。それに比べ大したこともできないのに「失敗しないことが確実になるまで何もしない」そういう自分。

そんなことを考えているうちに、少し自分の発想を変えてみたくなった。「目標がある程度みえたのなら、勢いで走りだし、後から走りながら考えるほうが得るものが多いかもしれない。仮に失敗したとしても、恥をかいた以上に学ぶようにすれば総合的にはプラスに成る」

言葉の上辺だけで理解していたようなものを自分の言葉にしてみたくなった。空間を共有しているだけでそんな気持ちが湧き出てくるのだから不思議です。そして、この事こそが同じ日に集まることの一番の重要性だと思った。

もっとも、本気で走ってみようと思えたのは「一口オーナ制度」を知ってから。長くなったので、その話はまた来週。